インターネットと文学

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
 こんにちは。スズキヤスフミです。
 「わたしとインターネット」ですか…んー簡単なようで難しい。毎日ネットに接しているけど言語化するのは難しいですね。しかも「インターネット文学」んー。
 
 僕はインターネットで何が行なわれるかではなくて、インターネットと言う仕組みの方が興味があります。割と理系的に使っているのかも知れません。文学と言うよりキカイいじり。とは言っても理系の学校行った事がないし(農業高校中退です)数学も苦手なので自分では文系人間だと思います。でも仕組みの方が興味あるし、文学作品も構造的に考えるのが好きなので。割とインターネットで何が書かれているのか、と言うより書いている人の「心理」を考えるのが好きですね。哲学書の読み過ぎかな。

 でも書かれていることに注目するのも楽しいですね。まぁ自分は古い人間で、ネットでただで読めるものよりお金を出して買った紙の本の方が価値がある、と考えているところがあるので。ネットにどっぷり漬かった事は無いし、スマホを買ったのもRadikoSpotifyがどこでも聴けるからですけど。でも自分のやっている事は「インターネット文学」そのものだし、Twitterも好きであれも立派な「文学」なので、ブログやメルマガについて考えるのも大事な事だと思います。文字ある所には文学が必ずあるのですから。

 ブログと言えば鉄道ブログ!と言うか鉄道ブログしか読んでいないので、他のブログの事は分からないですけど。なので自分が読んだ鉄道ブログのしかも「サワリ」だけ、薄い感想しか書けません。それでいいと思います。ブログが100あれば100通りの読み方があるのですから。
 まず鉄道ブログは写真がメインですね。「撮り鉄」が多いですから。でもひょっとして鉄道の楽しさが言語化出来ないのかも知れません。面白い鉄道ブログの書き手をよく見れば鉄道雑誌に書いている「プロ」だったり。でも言語化出来ずに面白い文章が書けないのならば、(カタギの衆が何を言おうが)それでいいと思います。何故か。資料としてとても貴重なものだからです。鉄道趣味を極めると実証主義に行き着きます。まず資料があって、そこから色々な思考をして、また資料に戻る。突き詰めると資料があってこその鉄道趣味なのです。まぁカタギの衆から見ると「なんでこんな面倒くさい事をするんだ!」となりますが、本来趣味とは面倒くさいものなんです。好きなものを分類して体系づけて構造的に考えて対象の複雑な(または単純な)仕組みの美しさ豊潤さを面白がるのが趣味だと思います。ギャンブルだってそうでしょう。競馬新聞の書いてある通りに買っても面白くないでしょう。もちろん鉄道趣味には旅の情緒を、もっと言えば「侘び寂び」を味わうものもあります。大多数の鉄道ファンはそういう事を面白がると思います。それは分かります。しかし僕はそういう風には楽しめないのです。そしてインターネットに書かれているものや紙の本に書かれているものも、構造的にしか楽しめません。文系のようで理系で、理系のようで文系なのが僕と言う人間です。本当に哲学書の読み過ぎだと思います。なんて面倒くさい人間なのでしょう!

 あとこれを読んでいる人は僕を鉄道マニアだと思うでしょう。そうです、ワタシは鉄道マニアです。Twitterのアイコンも電車の顔です。っていうより気動車ですディーゼルカーです。幼稚園の頃銭湯の蛇口のコックを電車のハンドルの様にいじって怒られた事がありました。その頃からの「病気」です!